中学受験の沼があるとすれば、はまるのは子どもではなく親のような気がします。
学校を探したり、受験日程を組んだり。
子どもはまだ小学生なので、親がやる仕事がたくさんあります。
それだけに、親は受験一色になりがちです。
「受験の話ばっかりしないで」
中学受験する母親同士、話が尽きることはありません。
もちろん途中で切り上げますが。
子どもの心配から、塾の情報、中学校の噂話など、情報交換につい熱が入ります。
わが子の成績はさておき、そのようなおしゃべりは、正直言ってけっこう楽しかったんです。
まだ見ぬ輝かしい未来を感じつつ、合否という結果が出ていない、平和な時間でした。
だからおしゃべりも、危機感の半面、楽しむことができました。
親同士はそれでいいのです。
ですが、気がつくと、子どもとの会話も受験のことばかりになっていました。
ある時、わが子に指摘されてハッとしたことがあります。
「受験の話ばっかりしないで」
私は競走馬を走らせる馬主のような気持ちだったと気がつきました。
普通の会話って?
ふだんの会話がどういうものか、一瞬わからなくなりました。
学校であったこと、塾であったこと(勉強以外で)、楽しかったこと、悲しかったこと、おもしろかったこと…
子どもの世界は色とりどりです。
受験カラー一色にならないよう、気をつけようと思いました。
くだらない話で笑いあうと、自分の気持ちもやわらぐのを感じます。
どうしても勉強のことをいいたくなったら…
この5分だけは子どもとしょうもない会話、ふだんの会話を楽しもう!とするといいかもしれません。
見透かされる親の意向
もう一つ、子どもとの会話でやりがちなことがあります。
中受親でありがちなのは、なんでも学習に結びつけすぎることです。
とくに社会や理科の分野。
わが子は社会が全般的に苦手だったので、ニュースを見て説明したりしていました。
いろんなことに興味を持ってもらうのはいいと思います。
ですが、その裏に、成績アップさせたいという親の意向が透けてみえる場合が。
子どもは敏感にそれを感じ取ります。
わが子の場合、勉強ぽい雰囲気を感じとると、とたんに拒否感をあらわにしていました。
私からしたら、ああー下心がばれちゃった、という感じです。
中学受験が終わっても、当然、学校も勉強も続きます。
受験や勉強の話は、子どもがいやにならない程度がいいかもしれません。